大阪府議会 2014-02-01 03月24日-10号
古くは、昭和五十年、黒田府政時代、常任委員会の修正により、議員報酬の増額を五カ月おくらせて、その差額を学校給食に充てた増額修正がありました。最近ですと、橋下知事時代、平成二十三年度から私学無償化実施の際も、血のにじむような行財政改革に合わせまして議員報酬、知事報酬を減額しました。
古くは、昭和五十年、黒田府政時代、常任委員会の修正により、議員報酬の増額を五カ月おくらせて、その差額を学校給食に充てた増額修正がありました。最近ですと、橋下知事時代、平成二十三年度から私学無償化実施の際も、血のにじむような行財政改革に合わせまして議員報酬、知事報酬を減額しました。
顧みますと、私が大阪府議会議員に初当選を果たした昭和四十六年には黒田府政が誕生、少数与党ということもあり徹夜の議会が続き、府庁の南玄関には屋台が並ぶというような、今では考えられない光景も見られました。
そのころの府議会は、革新黒田府政に対し圧倒的な多数野党の議会構成でありまして、緊張感漂う活発な議論が展開をされておりました。そんな府議会への興味もありまして、本会議を傍聴に訪れましたところ、この壇上では、我が党の東徹議員の御尊父、東武議員が、あの温厚なお人柄に似合わず、激しい口調で黒田府政を糾弾、追及しているさなかでありました。
当時、大阪は、日本共産党も与党となる黒田府政がありました。大阪の我が党の政策委員長が、東京では東京砂漠の現象が起こったが、大阪でも大阪砂漠というような深刻な水危機が起こらないとは言えず、毎秒40トンの琵琶湖総合開発は必要だというのです。これに対して滋賀県の党は、琵琶湖の現状を指摘しながら、これ以上の無謀な開発は許されないと、かんかんがくがくの大激論となりました。
思えば、昭和五十年に初当選のときにこちらへ立たしていただきましたとき、当時は黒田府政でございました。私の質問の最中大混乱が起こりまして、二日間も中断してしまったと、そのようなことが、つい先ほどのように思いますが、その後五期を務めさせていただき、六期目のときに落選をいたしました。府会から歯科医へ戻っておりました。ネタがわかっておりますので、笑っておられると思うのですが、もう一回言わしてください。
水資源開発にかかる費用は、かつて黒田府政までの時期には全額を一般会計で負担していました。ところが、一九八一年から岸府政によって二分の一の補助などに削減されましたが、今回はほぼ全面的に廃止しようとしています。この二分の一の現行の補助制度を継続させれば、料金値上げは避けられるはずであります。見解を求めます。
また、制度発足当初においては、所得制限は実質無制限でありましたが、その後黒田府政によって給与収入が三百万円まで大幅に引き下げられ、岸知事の時代には現行の水準である三百八十万円まで引き上げられた経緯があるものの、現在では対象年齢層の人口の約七三%、人数にして二十九万二千人もの高齢者が対象になっていることを考えると、安易に制度の変更は行うべきではありません。
本制度は、昭和四十七年に全国に先駆けて創設され、昭和五十三年には当時の黒田府政により給与収入で三百万円の所得制限が設けられ、助成対象者が削減され、その後岸府政の時代に現行の三百八十万円に復元するという曲折があったものの、健康面では紛れもなく弱者である高齢者が安心して医療を受けられる、大阪府が全国に誇れる施策として定着をしてきたものであります。
大阪府政では、二十二年ぶり、黒田府政以来の予算修正という事態になるでしょうが、私たちは、一般的に言って、理事者が提案した予算案を府議会が手直しし修正する、本来こういうことが頻繁に行われて初めて議会の議会たる存在意義があるのだと思います。 理事者の皆さんも、一円の予算修正もさせない、修正は恥だというようなかたくなな姿勢を改めて、今後は謙虚に臨んでいただきたいと思います。
ちなみに、過去を振り返って見ますと、昭和四十五年から八年間の黒田府政の失敗によって昭和五十三年に財政力指数が一を割り込みましたが、この回復には、岸知事の陣頭指揮のもと、総務部財政課を初めとする当時の職員の尽力にもかかわらず、実に岸府政二期八年という長期間を要しております。
私どもは黒田府政の失政を懲りて、この十六年間共産党を除く私どもは、知事与党として小異を残して大同につくという形で、府政のおくれを取り戻し、大阪発展の筋道を理事者の皆さんとの信頼関係の上で今日を築き上げてまいったのであります。現在の府のあらゆる施策も、そのほとんどが知事並びに理事者の行政意欲を議案として議会に提出され、各政党の固有の政策を反映させながら、活発な議論を経て承認してきたものであります。
ところが、中川知事は、琵琶湖開発への一般会計からの繰り入れを黒田府政の半分にするという不当な措置をとっています。 大幅な値上げのもう一つの理由である第七次拡帳事業への府の出資も、事業費の三分の一の補助となっているにもかかわらず、実際は四分の一しか行っていないのです。
我が党としては、この数年飛躍的な税収の伸びの後だけに、公共料金の値上げは避けるべきとは存じますが、老人、青少年、障害者本人の施設使用料は現行どおり据え置くこと、三百円以下の使用料、手数料の据え置き、そしてこの八年間の物価上昇率一五・八%に対し五ないし一〇%以内で抑えたこと、さらには昭和五十一年、黒田府政時代十一年間値上げを据え置いたため、全日制高校や工業高専の授業料が一挙に二倍近くに引き上げられ、府民
私どもが岸さんを知事候補として推薦してまいりましたのは、当時黒田府政下で府の財政が破綻し、大阪の地盤沈下に著しいものがあり、これを立て直していく行政手腕が求められていたこと。
岸知事、あなたは破産寸前の財政危機、黒田府政がもたらした府政の混乱の真っただ中に登場されました。以来あなたは、本府財政をいち早く立て直し、地盤沈下と言われて久しかった大阪に活力を取り戻すなど輝かしい実績を残されました。
大阪府下の高等学校費は、政府総務庁の統計によりますと、黒田府政八年間の終わり、七八年時点では、生徒一人当たりの支出が五十二万三千円余り、全国で十四位であったものが、岸府政になって八年後には、三十三万円と減少、順位は実に全国四十六位と転落してしまったのであります。
地盤沈下、混乱と混迷、ばらまき行政などなど、思い起こすだけでも顔をしかめたくなるような暗い形容詞で言いあらわされていた黒田府政の大阪から、見事府政を立て直し、活気に満ちあふれ、みんなの顔が生き生きと華やいで見える今日の大阪を築き上げられました。このあなたの行政手腕は、脈々と続く大阪府政の歴史にしっかりと刻み込まれていくものと確信いたします。
私は、黒田府政時代、そして岸さんあなたの時代、二十年を通してこの淡輪・箱作海岸整備事業の完成を待ちわびてきたわけでございます。二十年を経た今日、再び質問に立ち、提言をしなければならないことを悔やんでやみません。 現在、マリンリゾート二十一構想が策定されておりますが、この主体をなすものは、まさに淡輪・箱作海岸環境整備事業であると認識するのですが、総合的な整備計画がまだ示されていません。
過去、黒田府政が残しましたマイナスの遺産によります困難な財政状況に呻吟しつつ、やりくり算段してきた台所事情を振り返りますと、一遍に肩の力が抜けてしまうほどのさま変わりと言っても過言ではないと思います。まさに感慨無量でございます。